こんにちは、風香りんです。
結婚して3年半、社会人になって5年が経った頃、私は「ゴリゴリ働きたい」とキャリアを優先する日々を送っていました。そんな私がどうして妊活を始め、不妊治療という道まで進むことになったのか。
今回は、自己紹介も兼ねてその始まりをお話ししたいと思います。
「与えられた目標」を失った28歳の葛藤
私が妊活や不妊治療を意識し始めたのは28歳の時。25歳で転職と結婚という人生の大きな転機をほぼ同時に迎え、そこから3年が経っていました。
それまでの人生は、小学校、中学校、高校、大学と、ある程度の年齢で「やること」が社会から与えられていました。受験や資格取得など、与えられた目標に向かって努力することが好きだった私にとって、この3年間は少し違和感のある時間だったのです。
終日パソコンに向かう事務の仕事で、日々の生活に大きな変化はありませんでした。社会からの「ラベリング」が薄れていく中で、「このままでいいのかな?」と漠然とした焦りを感じていたのだと思います。
そんなとき、ふと頭をよぎったのが「新しいラベリング」の存在でした。新しい命を産み、育てる側として、その成長を近くで見守れたら、また人生に張り合いが生まれるかもしれない。今振り返ると、少し自己中心的な考え方だったかもしれませんが、当時の私にとってはそれが、人生の新たな目標を見つけるきっかけとなりました。
夫の「子どもと一緒にキャッチボール」という夢
夫は私より少し年上です。結婚当初は、私がキャリアを優先したい気持ちを汲んでくれて、「夫婦二人でいるのも悪くない」という私の考えに寄り添ってくれていました。
しかし、私が28歳になった頃、夫が「子どもと一緒にキャッチボールがしたい」という夢をひそかに持っていたことを知りました。働きすぎて体にガタがくる前に、子どもと一緒に遊びたい、という夫のタイムラインを初めて意識しました。
当時の私は、夫が自分の夢をしまってくれていることに気づいていませんでした。彼はいつも私のやりたいことを優先し、自分を犠牲にしているような人だったのです。
そんな夫が「協力的」というより、私より率先して育児をやってくれそうだと感じたことも、妊活を前向きに考えられるようになった大きな理由です。共通の夢を見つけることで、夫婦の絆がより一層深まったように感じました。
友人の妊娠・出産がもたらした「リアル」
私が「子どもを持つこと」という課題に正面から向き合えた最も大きなきっかけは、大学時代の友人の妊娠・出産でした。
それまでの私は、「妊娠」「出産」について解像度が低く、ネガティブなイメージしかありませんでした。「お金がかかって、痛くて、うるさい」というひどいイメージを抱えていたのです。
しかし、友人の妊娠期や出産直後にお手伝い(という名目で遊びに)行かせてもらったことで、その考えは大きく変わりました。
- 子どもを持つ喜び
- 命の成長を見守る幸せ
- 夫婦のさらなる結束
- 夜泣きなど育児の具体的な困難
これまで見えていなかった、妊娠・出産・育児の「リアル」に触れることができたのです。
友人の姿を通して、私はようやく「子どもを持つこと」という課題の是非を夫に切り出すことができました。こうして、私たち夫婦は妊活を始めることになったのです。
甘かった「20代だからすぐできる」という考え
「20代だし、大きな病気をしたこともないし、半年もあればできるだろう」
そんな甘い考えで始まった私たちの妊活は、想像していたものとは全く違いました。半年を過ぎてもなかなか授かることができず、次第にこのブログに記録するような不妊治療へと歩みを進めることになります。
このブログでは、私の不妊治療から妊娠、出産、育児に至るまでの体験談を、正直な気持ちとともに記録していきます。一人でも多くの方の助けになれば幸いです。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。